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神戸地方裁判所 昭和49年(ワ)491号 判決

原告

右代表者法務大臣

坂田道太

原告訴訟代理人

上原洋允

山村恒年

小西隆

原告指定代理人

小林茂雄

外九名

被告

樫原徳雄

右訴訟代理人

野村清美

右訴訟復代理人

沢田恒

神田俊之

奥野信吾

主文

被告は原告に対し、別紙物件目録記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

(主位的請求)

主文と同旨

(予備的請求)

1 被告は原告に対し、別紙物件目録記載の各土地につき神戸地方法務局三木出張所昭和四五年一一月三〇日受付第一〇九八〇号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(主位的・予備的請求)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は昭和一八年旧陸軍省(以下、軍ともいう。)中部軍経理部の所管において、別紙物件目録記載の各土地(以下、本件各土地という。)を含む兵庫県美嚢郡別所村(現三木市別所町)、同県加古郡母里村(現稲美町)、同郡八幡村(現加古川市)にまたがる約二〇万平方メートルの丘陵地に軍三木飛行場の設置を計画した。

2  軍は昭和一九年本件土地を右飛行場用地の一部として、その所有者であつた訴外小河定雄から買受け、その所有権を取得した。

3  ところが、本件各土地につき、被告名下に神戸地方法務局三木出張所昭和四五年一一月三〇日受付第一〇九八〇号同月一日売買を原因とする所有権移転登記が経由されている。

4  よつて、原告は被告に対し、主位的に右所有権移転登記の抹消登記手続に代えて所有権移転登記手続を求め、予備的に右登記の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因2の事実中、定雄が本件各土地を所有していたことは認め、軍が同人からこれを買受けたことは否認する。

2  同3の事実は認める。

三  抗弁

仮に、軍が本件各土地を定雄から買受けたとしても、同人はその所有にかかる本件各土地を昭和二二年二月一〇日訴外村岡文蔵に売渡し、神戸地方法務局三木出張所昭和同年二月一四日受付第一七五号の所有権移転登記手続をなし、同人は同二四年七月二二日死亡し、訴外村岡ゆきのが相続し、同局同出張所同四五年一一月三〇日受付第一〇九七九号の所有権移転登記手続をなした。しかるのち、被告は同年一一月一日同人から本件各土地を買受け、原告主張の登記を経由したものである。従つて、原告は第三者である被告らに対し、その所有権の取得を対抗できない。被告が買受け、その後占有管理している土地は乙第三、四号証の撮影対象となつている土地である。

四  本訴抗弁に対する答弁

本訴抗弁事実中、定雄が本件各土地を所有していたこと、村岡文蔵が昭和二四年七月二二日死亡し、村岡ゆきのがその権利義務を承継したこと、右各土地について被告ら主張の各登記が経由されていることは認め、その余の事実は否認する。仮に、被告が村岡ゆきのとの間に売買契約を締結していたとしても、右売買契約は現地を検分特定した上でそれを目的として締結したいわゆる現地売買である。ところで、後述(五1(二))のとおり、本件各土地は別紙図面の赤線で囲んだ範囲の土地であるが、被告が買受けた土地は本件各土地とはかけはなれて異なる別紙図面赤①②印のある付近の土地である。従つて、被告が買受けた土地は本件各土地ではないからして、被告が右各土地につき経由している登記は、実体の伴わない無効のものである。

五  再抗弁

仮に、被告主張の如く本件各土地について、定雄から順次被告に至るまでの各売買契約が締結されたとしても、

1  農地

(一) 軍は本件各土地を含む三木飛行場用地全域を買収したあと、現実に飛行場を建設し、終戦に至るまで軍三木飛行場として使用したが、終戦後軍の解体に伴つて大蔵省へ、その後農地として解放するため昭和二三年七月農林省へと順次所管替えし、その頃政府は右用地全域(以下、本件開拓地ともいう。)を緊急開拓事業地区の国営代行地区に指定したため、兵庫県知事は開拓計画を樹立し、同二五年から全額国費で農業用溜池、水路、道路を開設し、田畑を開いた。一方、現地では、同知事が昭和二一年頃から食糧増産を図るため入植者、地元増反者(以下、開拓農民ともいう。)を募集し、農地とすべき土地についてはこれら開拓農民に割当開墾させ、昭和二四年から同三六年にかけて県知事の検査に合格した者らに対し、自創法又は農地法に基き農地として売渡し、同三八年頃には右全域に亘る開拓事業は完成したが、本件各土地を含む開拓地全域が有機的に一体として造成された一大集団農場であり、本件土地を含むすべてが農地である。

(二) それのみならず、本件開拓地は、飛行場建設と開拓による集団農場の造成という二大事業の結果、軍買収時における溜池、水路、里道の所在は明らかではなく、筆界はもとより字境も不明となつたため、県知事により本件開拓地の売渡処分をするに際しては、恰も本件開拓地全域を一旦合筆して一筆の土地の如くした上、新たに区分された区画に仮地番を付して売渡したものであり、具体的地番の土地が現地で何拠に位置するかは不明であつたが、その後の調査により、別紙図面の赤線で囲んだ範囲の土地であることが判明した。その結果によると、本件各土地の内、三木市別所町花尻字坂の上四七八番の二は仮地番四四二の三一、四〇一番の四三・四四の三区画に、また同所四六二番の土地は仮地番四八二の八二・八三にそれぞれまたがつて存在している。右各地番の土地は、いずれも兵庫県知事により訴外高芝勝治ら開拓農民に自創法に基き売渡処分し、同人らはいずれも田畑として開墾し、今日に至るまで連綿として肥培管理している農地である。なお、右土地の内の一部には、土手脚をなした部分があり、それ自体農地ではないとはいえ、農地部分の土砂の崩壊を防止するための土手脚であるからして、右土手脚部分をも含めて一体として農地である。

(三) しかるところ、農地の所有権の譲渡には県知事の許可を必要とするが、定雄から被告に至るまでの各売買契約当事者は、右許可を受けていないからして、右各売買契約はいずれも無効である。

2  公序良俗違反、背信的悪意者

(一) 原告は軍による右買収土地の大半について所有権移転登記を受けたが、旧所有者らの一部は本件開拓地の開拓農民に対する割当措置の不満から、軍による買収という事実を承認しつつも原告への移転登記を拒否するに至つた。ところが、昭和四〇年頃訴外関西電力株式会社が本件開拓地内に高圧電線鉄塔建設のため、その敷地の買収及び線下補償を計画し、その金額が極めて高額であつたことから、訴外北本傳治をはじめとする旧所有者の一部は、日本農民組合兵庫県連合会書記長として本件開拓地等三木市方面で農民運動に従事していた訴外大和虎之助らと共謀し、本件開拓地が開拓農民らによつて戦後二〇年余にも及ぶ労苦の末、営々と開墾してきた農地であることを十分認識しながら、軍による買収の事実を否認し、敢えて開拓農民らの労苦の結晶を無に帰せしめ、その唯一の生活手段を失わしめてまで、不法に鉄塔敷代金及び線下補償を入手せんと企て、或いは地価の高騰に目を付けて不法の利益得んものとして、本件開拓地内の土地を二重譲渡する者が輩出するに至つた。

(二) 被告は本件各土地が軍により買収され、戦後売渡処分を受けた開拓農民らによつて集団農場として造成されるに至つた事情を認識しながら、原告が登記を経由していないことを奇貨として原告及び開拓農民らの権利を害し、不当な利益を得んものとして、所在場所も不明の本件各土地を買受けたものである。

(三) 右事情からすると、被告は原告及び開拓農民らに対する関係で登記の欠缺を主張し得ない背信的悪意者である。

六  再抗弁に対する答弁

1  再抗弁1の事実中、本件各土地の所在及び右各土地が農地であることは否認する。本件各土地は乙第三、四号証の撮影対象となつている土地であり、その現況は山林である。

2  同2の公序良俗違反、背信的悪意者に関する主張はすべて争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件各土地が定雄の所有であつたこと、右各土地につき原被告主張の各登記が経由されていることは当事者間に争いがない。

二そこで、まず原告主張の売買契約の成立について検討する。

1  軍による三木飛行場建設計画等について

〈証拠〉を総合すると、左の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  旧陸軍省航空本部は昭和一八年太平洋戦争における戦況が次第に不利に展開してきたため、いわゆる本土決戦に対処するべく、中部軍経理部の所管において、三木飛行場の設置を決定した。

(二)  中部軍経理部は昭和一八年秋頃から同一九年二月初旬にかけて、三木飛行場予定地を踏査し、その用地として兵庫県美嚢郡別所村(現三木市別所町)、加古郡母里村(現稲美町)、八幡村(現加古川市)の三か村にまたがる丘陵地の内二〇万平方メートルを測量確定し、その頃までに右三か村の村長に対し、飛行場建設と用地買収の協力方を要謂し、併わせてそれぞれの村に属する用地等の買収事務等を右各村に委嘱し、用地買収価格をそれぞれ坪単価、山林(立木代金は別)金一円二〇銭、田金三円二〇銭(或いは金三円三〇銭)、畑金二円(或いは金二円一〇銭)、宅地金五円等と定め、また麦、野菜等の地上物件移転補償料、立木代金等も別途詳細に定めたが、右土地代金は時価を相当上回るものであつた。

(三)  本件土地は、三木飛行場建設予定地内で、かつ、別所村に所属するものである。

2  軍による三木飛行場建設用地の買収等について

〈証拠〉を総合すると、以下の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  買収の申込

(1) 中部軍経理部において用地買収を担当する経営科々長中尾時春主計少佐は、昭和一九年二月初旬頃別所村石野部落の覚法寺に予め別所村と協力して土地台帳で調査した飛行場用地の当時の所有者(以下、旧所有者ともいう。)の参集を求め、その席上出席した約二〇〇名(ちなみに、別所村関係の旧所有者は約三〇〇名である。)の者に対し、戦況からして三木飛行場建設の必要性のあること、飛行場建設予定地の範囲を地図上で明らかにした上、その用地全域を軍が買収したいこと、その価格は前示のとおりであることを申し述べると共に、時局柄飛行場の完成は寸刻を争うので右用地は即刻引き渡すべきこと、山林の立木で必要なものは早急に伐採して運び出すべきこと、右用地内に居住家屋を有する者は同年三月末までに右用地外に移転すべきこと、以後は軍の許可なく右用地内への立入を禁止すること、用地買収等の事務は別所村役場で行うことを申し添え、旧所有者らに対し、多大の犠牲を強いることを陳謝しつつも戦争に勝つために無条件での承諾方を要請した。

(2) また、中部軍経理部は覚法寺における説明会に出席しなかつた旧所有者らに対しても飛行場用地の買収方を申し入れるため、別所村に対し、右申入をなさしめたところ、同村長は相野、石野、下石野、花尻部落の部落長(区長)に右申入方を依頼し、各区長が旧所有者に個別的に伝達し、関係部落に居住していない旧所有者らに対しては、同村役場の吏員が個別的に訪問してその旨を伝達したことにより、軍が飛行場用地全域を買収する旨の申込は、旧所有者らにあまねく伝達された。

(二)  買収の承諾

旧所有者らは軍からの飛行場用地買収の申入に対し、大半の者は農家であり、先祖伝来の田畑山林等を好んで手放すの由なく、不本意な心情を抱いたことは推察に難くないところである。しかしながら、戦争に勝利を収めることが至上の要請であつた時局柄、右申入を拒否することは事実上困難であり、国を挙げての戦争遂行に協力せざるを得ず、またその意欲もあつたため、覚法寺の説明会に出席した者についてはその席上全員一致でこれを承諾し、区長及び別所村役場吏員を通じて右申出を受けた者については右申出を受けた際これを拒否した者は一人としてなく、それぞれが右申出を受け入れ、遅くとも昭和一九年三月末頃までに右全用地を軍に引き渡した。

(三)  契約内容等の確定とその履行準備

(1) 中部軍経理部は旧所有者らとの売買契約及び補償内容の個別的確定とその履行準備のため、別所村と緊密に連絡を取りつつその作業を進め、別所村においては、村長、助役が中心となり、関係部落毎に区長その他役員を軍用地買収調査委員に任命し、その協力の下に右作業を進行した。

(2) 右買収調査委員らは右村長の指揮の下にそれぞれの部落において、売買契約及び補償内容確定に不可欠の土地及びその地上物件を個別的に調査して土地調書、物件調書を作成し、土地の登記手続に必要な印鑑証明書と委任状、土地代金その他地上物件補償料の請求及び受領権限を同村長に委任する旨の委任状を旧所有者らに作成させて徴求した。

(3) 別所村長はその他必要書類を昭和一九年一〇月頃までに一応整備し、中部軍経理部に対して右諸書類を交付した上、土地代金その他地上物件補償料を請求した。

(四)  代金等の支払

(1) 右請求を受けた中部軍経理部は、昭和一九年一一月五日頃土地代金その他地上物件補償金の受領権限を受任している別所村村長を受取人として、別所村農業会に対し、総額金一二〇万二〇四八円二二銭を送金し、その支払を了したものである。

(2) これを受けて別所村村長は昭和一九年一二月四、五日から同二〇年四月頃までの間に旧所有者に対し、別所村農業会にその支払を委託した金券を交付することによつて支払つた。

(五)  登記手続

中部軍経理部は、買収した飛行場用地内の各土地の所有権移転登記手続に必要な諸書類の整備をも関係三か村に委嘱していたが、各村によつてその進捗状況に差異があり、別所村にあつては買収土地が母里村、八幡村に較べて格段に多く(全用地の約七〇パーセント)、登記事務担当の臨時職員が昭和二〇年六月応召するという事態も加わつて遅延に拍車がかかり、八幡村の全土地、母里村の約八五パーセントが軍所管時に登記が完了したにも拘らず、別所村の全土地及び母里村の約一五パーセントが登記未済のまま後示の如く大蔵省、農林省へ所管替えとなつた。

(六)  以上検討した如く、軍は昭和一九年二月頃三木飛行場用地全域を旧所有者から買受け、その代金の支払を了したものである。

3  軍による本件各土地の売買契約の成立について

以上認定の事実を前提とし、これを本件に限局して具体的に敷衍するならば左のとおりである。

甲第三一号証の一七三番の定雄名下の印影を観察すると、必ずしも明瞭ではないが、甲第八二号証の二の一七三番の印影と同一のものであると是認しうるところ、右印影には同人の氏名が記されている。前示の当時の状況からして、右印影を顕出した印章を偽造するなど殊更の作為を弄することは考えられないことからして、右印影は同人の印章により、かつ、特段の反証のない本件にあつては同人の意思に基いて顕出したものと推定し得るので全部真正に成立したと認められる甲第三一号証の一七三番によると、定雄は軍に対し、本件各土地及び飛行場用地内の他の土地を金四六八四円八〇銭で売渡し、その代金を受領したものと推認することができ、右認定に反する証拠はない。また、軍による買収時本件各土地の一部が未登記であつたとしても、なんら右認定事実を覆すに足るものではない。

三次に、被告主張の売買契約について判断する。

1  軍による三木飛行場用地買収後の状況について

〈証拠〉によると、左の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  中部軍経理部は飛行場用地の買収と相前後して用地内に中部軍三木施設工事事務所を設置し、飛行場建設工事に着手した。右工事は内務省大阪土木出張所の機材と人材、学徒、勤労奉仕員を動員して行われたものであり、起伏のある丘陵地にあつた右用地内の、周辺部を残し、地上物件のことごとくを撤去し、起部を削り、伏部を埋め立てて平坦に整地したため、通路、水路、溜池は消失し、筆界はもとより字界も不明となつた。右工事は二本の滑走路と兵舎、格納庫等の付帯施設を一応完成し、昭和二〇年初め頃には航空部隊が着任し、同年八月の終戦に至るまで現実に使用された。

(二)  戦後軍の解体に伴つて大蔵省へ所管替えされたが、政府は当時極度にひつ迫していた食糧の確保と、終戦の結果職を失つた軍人、引揚者らの帰農による社会的安定を図るため、緊急に未墾地の開拓事業を実施することに決定した。これを受けて兵庫県農地委員会は昭和二三年一月三木飛行場跡地を緊急開拓事業地区とすることに決定し、これに伴い右跡地は大蔵省から農林省へ所管替えとなつた。現地では戦後間もなく三木飛行場駐とん部隊軍人をはじめ、地元民が開拓に着手していたが、同年七月本件開拓地全域が緊急開拓事業の国営代行地区に指定され、同二五年から国費で開墾営農に必要な道路、溜池、水路が設置され、田畑が開かれ、同三八年に至つて漸く完成するに至つた。その間、兵庫県知事により本件開拓地の開拓者が募集され、これに応じた入植者、地元増反者が多大の労苦の末、営々と開墾し、肥培管理して農地を造成していつた。その結果、本件開拓地の内、公共用の道路、溜池、水路等を除く全域が、右知事の検査に合格した入植者四〇名、地元増反者三二一名に対し、軍が買収した当時の地番(登記簿上の地番)とは無関係に、恰も本件開拓地全域の各筆の土地をすべて合筆して一筆の土地の如くし、新たに区分した区画によつて仮地番を付した上、薪炭採取用の山林、建物敷地の宅地と共に自創法或いは農地法に基き売渡され、ここに本件開拓地をその範囲とする一大集団農場が現出するに至つた。

(三)  本件開拓地は飛行場建設と開拓地造成という二大事業によつて、その周辺部を除き軍による買収以前とその形質は根本的に変革し、筆界はもとより字界も明瞭ではなく、登記簿上の具体的地番の土地が現地において正確に何拠に位置するかは、不明であり、またその地目も登記簿上の表示とは全く無関係なものとなつた。従つて、本件各土地が現地の何拠に位置するかは明らかではなくなつた。

2  本件各土地の特定について

(一)  証人酒井正美の証言によると、左の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

軍は飛行場用地全域の買収後、飛行場用地の境界を明示するため花崗岩製一五センチメートル四方の石柱一二九個を埋設していたため、その周辺土地との境界は明らかであつた。右境界石を結んで飛行場用地の範囲を図面化したのが前掲甲第七三号証である。兵庫県は軍が買収した飛行場用地の内、旧所有者が二重譲渡したため、訴訟の対象となつている土地を現地で特定するため、訴外有限会社山本測量に依頼して大々的な測量をしたが、その結果同会社の測量士福井栄が作成したのが甲第一一四号証の複合図である。複合図は、右甲第七三号証の外周図、座標値の計算書、開拓事業を開始した当時の計画図、自創法に基き売渡処分するに際し作成した売渡確定図、現況(仮地番)測量によつて得られた図面と、戦前から飛行場付近に居住し本件開拓地に入植した訴外藤原仁三郎の作成した軍による買収時の現況図画及び同人ら古老の意見を参考にした上、旧地番(登記簿上の地番)の土地を法務局備付の字限図を基本にして現地に復元し、それを機械にかけて複合して表示したものであり、もとより若干の誤差があつたとしてもほゞ正確なものである。

(二)  右複合図(甲第一一四号証)によると、本件各土地の位置は別紙図面の赤線で囲んだ範囲の土地であると認めることができ、右認定に反する被告本人尋問の結果は何んらの具体的裏付を伴わないものであり到底措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  被告と村岡ゆきのとの売買契約の対象について

被告本人尋問の結果によると、被告は昭和四五年頃同居していた妻の祖母村岡ゆきのから、土地の買受方を申込まれ、右土地を現地に赴いて検分し、検分確認した現地を目的として金五万円で買受け、右登記を経由したことが認められる。そして、被告の買受けた土地が、乙第三号証の一ないし一二及び第四号証の一ないし一一の撮影対象となつている土地であり、被告は買受後今日に至るまで右土地を占有管理していることは、被告の自認するところである。ところが、証人浦上武一の証言によると、被告が買受けた乙第三号証の一ないし一二及び第四号証の一ないし一一の各土地は、別紙図面で特定した本件土地ではなく、同図面の赤①③印をした付近の土地であることが認められるのみならず、被告本人も、証人綾部義明の証言(第一回)により、本件各土地の内四六二番地の土地を撮影したと認められる甲第一一九号証の一ないし三を示されて、被告が買受けた土地ではないと供述していることからも明らかである。

4  そうすると、被告は本件各土地につき所有権移転登記を経由しているものの、本件各土地を買受けたものではなく、本件各土地以外の土地を買受けたにすぎないからして、本件各土地につき経由している右登記は実体の伴わない無効のものといわざるを得ない。

四更に、本件各土地の現況についても検討を加える。

1 前項三1で認定した事実関係からすると、本件開拓地内には、山林、宅地、溜池、水路、道路等その現況地目が農地以外のものがあるものの、その大半は農地であること、山林は本件開拓地造成の全計画の中にあつて、入植増反者に当時欠くべからざる薪炭採取用に残されたものであり、宅地は同人らの居住家屋等のためであり、溜池、水路、道路は開拓地の開墾営農のためであること、そして本件開拓地は食糧確保と戦後の社会的安定という高度の公益的要請を満たすために、計画的に多大の国費と労力を投じて完成した一大集団農場であることを考慮するならば、右農地以外の地目の土地は右集団農場と一体となつており、本件各土地を含む本件開拓地全域を農地と見ることも可能というべき状況であつた。

2 加うるに、前示(三1)の如く、本件開拓地は二度に亘る大事業の結果、登記簿上の土地は観念的には存在し得ても、現実には存在しないも同様であり、登記簿上の土地が正常な取引の対象となり得るものではなく、現に、右甲第一一四号証(複合図、別紙図面)によると、本件各土地の内、四七八番地の二一の土地は仮地番四四二番地の三一・四〇一番地の四三・四四に、四六二番地の土地は仮地番四八二番地の八三・八二、一〇五〇番地の二九の各一部にそれぞれまたがつて存在していることが認められることの本件における特殊な事情を考慮するならば、その農地性の判断にあたつては、その大半が現実に農地であれば、残余の部分が非農地であつても、該部分が独立して取引の対象となり得るような特段の存在でない限り、農地であるとみるべきである。

(一)  〈証拠〉を総合すると、仮地番四四二の三一、四〇一番地四三の各土地は開拓農民である訴外高芝勝治が、同番地の四四は同生田某がそれぞれ昭和二四年二月一日付で売渡処分を受けたこと、仮地番四四二番地の三一の南東寄りの二分の一及び仮地番四〇一番地の四三・四四は急坂の土手脚をなしているが、四四二番地の三一の土砂が崩れるのを防止する機能をも持つていること、そして、仮地番四四二番地の三一は、右高芝が昭和二一年秋頃まで仮指定を受け、畑地として開墾を完了し、同三二年頃水田に転作し、その際土手脚部分を重上げ拡大し、約三分の二位を水田として今日に至るまで耕作していることがそれぞれ認められる。

右認定事実からすると、本件四七八番地の二一の土地は大半が現実に農地であり、その余の部分も土手脚としての機能を果たしており、該部分のみが独立して正常な取引の対象となり得ない事情を斟酌するならば、四七八番地の二一の土地は現実的にも全体として昭和二一年秋頃から今日に至るまで連綿として肥培管理された農地とみられる。

(二)  〈証拠〉を総合すると、仮地番四八二番地の八二・八三は、開拓農民である訴外藤原春太郎、同田中八郎、同鎌瀬他一が昭和二四年二月一日付で売渡処分を受けたこと、同人らは同二一年秋頃までに畑地として開墾を完了し、芋・大豆等を作つていたが、同三八年頃訴外綾部義明らの養鶏業者の団体に右土地を売渡し、以降同人らは鶏糞を利用して畑作を継続し、同四五年頃は夏に南瓜、西瓜を作り、冬は牧草を植え、同五五年頃から果樹園、ビニールハウスにしたことが認められる。

右認定事実からすると、本件四六二番地の土地は昭和二一年秋頃から今日に至るまで連綿として肥培管理された農地というべきである。なお、右土地の一部は仮地番一〇五〇番地の二九にごく一部かかつているが、右部分その他若干の非農地部分は独立して取引の対象となる存在でないことは明らかであるから、四六二番地の土地は現実的にも全体として農地であるとの認定の妨げになるものではない。

3  以上詳細に検討した如く、本件各土地を含む本件開拓地はその全域を農地とみることも可能であるのみならず、具体的にみても本件各土地は、昭和二一年秋頃以降今日に至るまで連綿として肥培管理された農地であるからして、農地の売買については、農地法三条に従つて県知事等の許可を要するところ、定雄から被告に至るまでの各売買契約当事者のいずれもが右許可を受けていないことは明らかであり、仮に、主張の売買契約が順次成立していたとしても、いずれも無効たるを免れず、被告らは本件各土地につき所有権を取得するの由なく、被告らが経由している右各所有権移転登記は、いずれも実体の伴なわない無効のものである。

五原告の登記請求権について

前示のとおり、原告は定雄から本件各土地を買受けたものであるから、同人に対して所有権移転登記請求権を有し、同人から実体の伴わない無効な登記を経由している者がある場合、実体に符合させるため、その者に対して該登記の抹消請求及びそれに代えて最終登記名義人に対して直接所有権移転登記請求権を有するものであり、さらに原告が本件各土地を第三者に売渡処分している場合にも依然同様の請求権を保持するものと解すべきであるから、原告は被告に対して本件各土地につき所有権移転登記請求権を有するものというべきである。

六以上の次第であるから、その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由があるからこれを正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(渡部雄策)

物件目録

三木市別所町花尻字坂ノ上四六二番

一 山林  七八〇平方メートル

同所四七八番の二一

一 山林  一〇六四平方メートル

三木市旧飛行場 買収土地 売渡土地複合図〈省略〉

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